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新潟地方裁判所 昭和33年(ヨ)69号 決定

債権者 鶴巻長人

債務者 日本国有鉄道

主文

本件申請を却下する。

申請費用は債権者の負担とする。

理由

本件においてそ明された事実は、別紙記載のとおりである。

しかして、右事実に徴し考えるときは、債務者が債権者を解雇したのは、同人が正当なる組合活動をしたことの故をもつてなされたものであること、あるいは、それが解雇権の行使をあやまりこれをらん用してなされたものであることはいずれも、いまだ、そのそ明があるものとすることはできないものといわなければならず、また、その解雇が日本国有鉄道法第三十一条に違反してなされたものともいい難い。

しからば、右解雇が無効であるとし雇傭関係の存続することを前提としてなす解雇の意思表示の効力の停止を求める本件仮処分申請は、結局被保全権利についてそのそ明を欠くものというべく、しかも保証をもつてこれに代うるを相当とする場合でもないから、他の点について判断するまでもなく、その申請は理由がないものといわなければならない。

よつて右申請を却下することとし、費用の負担につき民事訴訟法第八十九条にのつとり主文のとおり決定する。

(裁判官 三和田大士 坪倉一郎 藤田耕三)

(別紙)

一、債権者が昭和十九年四月一日以降昭和三十三年五月十六日まで旧鉄道省次いで債務者日本国有鉄道に職員として勤務してきたこと、ところが昭和三十三年四月十九日債務者が債権者に対し、「新津駅において勤務中しばしば職員として不都合な行為があり、そのつど上司から訓戒をうけておりながら、またまた昭和三十三年三月二十六日同駅において勤務中、運転掛から入換作業の実施について再三にわたり命令されたにもかかわらず、反抗的にこれに服従せず、且つ、許可なく職場を離脱し早退した、」との事由に基づき、懲戒処分として同人を免職すべき旨の事前通知をなし、次いで同年五月十六日前記と同一の懲戒事由に基づき債権者を免職する旨同人に通知したことは、いずれも当事者間に争いがない。

しかして右懲戒処分は日本国有鉄道法第三十一条第三十二条日本国有鉄道就業規則第六十六条第三号、第六号、第十五号によるものとしてなされたことはそ乙第三十二号、第三十四号に徴して一応明らかである。

二、ところでそ甲第一、二号並びに債権者の審尋の結果によれば、債権者は国鉄労働組合新津駅分会においては、昭和三十年四月十五日青年部常任委員に選任され、その後同三十一年八月十日、翌三十二年十月二十七日の二回にわたつて右委員に再任し、同三十二年九月十二日以降同分会の分会委員の地位にあり、他方国鉄労働組合新津支部においては、昭和三十年八月九日青年部支部委員に選任され、翌三十一年十一月十日右委員に再任し、翌三十二年九月三十日には支部委員に選任され、同年十一月十六日以降青年部副部長の地位にあつて、活発に組合活動を行つて来たものであることが一応認められる。

三、そこで次に、債務者が、本件解雇につき、解雇事由として主張する事実について考える。

(一) 業務命令違反及び職場離脱の事実について

そ乙第二、三号、同第十八号の一ないし三、同第二十四、二十五、第三十五、第三十七及び第四十号を総合すれば、次の事実を認めることができる。

債権者は昭和三十三年三月二十六日新津駅南部B組の一勤務連結手(操車掛の連絡補助等を担当する連結手)として、十六時から翌二十七日零時までの勤務に服していたのであるが、二十六日の二十時三十分頃同人は当務輸送運転掛として輸送計画の樹立及び手配、列車の入換、組成についての指示等の業務に従事していた運転掛島原一男に電話連絡をなし、南部B組が次いで分解、組成作業を行うことになつていた第七六八列車(新潟操車場から大宮操車場行)と第五六二列車(青森操車場から吹田操車場行)の各到着組成の内容(列車到着の際における連結貨車の編成内容)を問い合わせたところ、島原運転掛は第五六二列車の組成として、車号掛から渡された列車組成計画表に基づき、

ワフ(車掌の乗務する緩急車)  一両

吹田(吹田操車場以遠行の貨車) 四十両

うちボギー二両(ボギーとは大型貨車のことで後述の線路有効長ないし現車制限についてはボギー一両を二両に換算する。)

富山(富山操車場から吹田操車場までの間に到着する貨車) 三両

合計現車四十四両(うちボギー二両)

換算(機関車の牽引力からみた換算貨車数) 九一車八分

と伝え、さらに第七六八列車については、未だ確定した組成が分つていなかつたので、大体の情報を伝えた。

債権者はその後二十一時十分頃、さらに島原運転掛に対し、第七六八列車の確定した到着組成内容を聞くため電話で連絡したところ、同運転掛はその組成内容を伝え、第七六八列車から第五六二列車に継送するよう列車指定(必ず第七六八列車から第五六二列車に連結継送しなければならぬ貨車)の名古屋市場行貨車一両換算二車二分があるが、その外に長岡操車場以遠行の貨車を現車五両換算六車八分まで第五六二列車に連結するよう同運転掛がたてた組成計画に基づいて指示した。ところが債権者は、この指示に対し、指定貨車一両だけ連結することにして他の貨車の補充連結はやめるように求め、島原運転掛が輸送計画上の必要からどうしてもその指示したような補充連結をしなければならないと考え、あくまで補充連結をするよう命じたにも拘らず理由をいわずにこれを拒否し続け、「俺はできないからお前がやれ。」というようなことをいつたため押問答となつた。そこで島原運転掛は已むなく「どうしてもお前がやらないというなら俺がやる。」といつて電話を切つた。

その後島原運転掛は直ちに債権者等のいる南部操車掛詰所に赴き、既に帰り仕度をして早退しようとしていた債権者に対し、西線に長岡操車場以遠行の貨車があることを確認してあるから第五六二列車に補充連結するよう重ねて指示したが、債権者は「俺はやらない。お前がやれ。」と繰り返すのみでこれに従わず、又早退の許否についても権限を有する島原運転掛が同人に「俺は帰るのを許可していない。」と注意しているのにも拘らず、その許可を得ずに早退した。以上の事実を一応認めることができる。

この点について債権者は、同人が島原運転掛の第五六二列車の組成に関する指示に従わなかつたのは、次のような理由によるものであると主張する。すなわち当初の二十時三十分頃の電話で島原運転掛が債権者に連絡した第五六二列車の組成の内容には、前示内容の現車四十四両(うちボギー二両)だけではなく、そのほかにさらに列車指定貨車三両が含まれており、合計現車四十七両(うちボギー二両)の組成である旨の連絡であつたのである。ところが第二回目の二十一時十分頃の電話で同運転掛は第七六八列車から第五六二列車に継送になる列車指定貨車が三両あるが、その外に同列車に長岡操車場行の現車六両を連結するよう債権者に指示したものである。そこで右指示のとおり第五六二列車の組成を行うとすると、同列車は現車五十六両(うちボギー二両)となる。ところが同列車は新津駅中線において補充組成して発車する列車であるが、右中線は五十二両以上連結して入ることを禁じられている(これを線路有効長という)。従つて島原運転掛の指示どおりに長岡操車場行の貨車を補充連結するならば、新津駅中線に入れないこととなり、強いて入れば事故の原因となることが明らかである。このように島原運転掛の指示自体が禁止を犯していたので債権者はこれに従わなかつたのである。

以上のとおり主張し、第五六二列車が新津駅中線において補充組成して発車する列車であること、右中線の有効長が五十二両であること、従つて右車両数以上の車両を連結して中線に入れば事故の原因となることはいずれも当事者間に争いがなく、さらに島原運転掛の指示の内容についてそ甲第三、第七及び第十六号並びに債権者の審尋の結果は債権者の前記主張に副うようであるけれども、前述のとおりそ乙第二十四、二十五号同第十八号の一ないし三、同第四十号によれば、島原運転掛は第一回目の電話連絡の際における第五六二列車の到着組成の通報については、二十時二十分頃田中昌愛車号掛から受取つた第五六二列車の列車組成計画票中の到着組成欄の記載を読み上げたものであると一応認められるが、右記載には債権者の主張する指定貨車三車の記載がなく、従つて同運転掛がその主張のような内容の連絡をしたものとは考えられず、又第二回目の電話連絡について、同運転掛が第七六八列車の到着組成中に、第五六二列車へ継送になる列車指定貨車が三両あると通報したとの主張事実についても、同様読み上げられた第七六八列車の列車組成計画票中の当該欄の記載と一致せず、これを認めることができない。またそ乙第二十、第二十三、二十四号によれば、島原運転掛は昭和二十八年十二月新津駅勤務となつて以来継続して運転業務に従事し、その間約一年十ケ月外勤運転掛として構内入換作業の監視督励、運転傷害事故の防止並びに処置、構内従事員の指導等の業務に従事しており、実働管理運転掛(列車の入換、組成についての実際の計画樹立及び指示を担当する運転掛)の経験もあり、同日まで五回輸送運転掛となつていることが認められ、又線路有効長ないし現車制限(各停車駅における線路有効長を勘案し、各列車について定められている現車数の制限)は列車組成計画の樹立について最も重要な制限の一つであり、これに対する配慮なしに計画を立てることは運転掛としての常識上殆ど考えられないことであると一応認められること等からみても島原運転掛が債権者主張のような指示をしたとは考えられず、右主張に副うそ明資料は前掲証拠に照してにわかに採用できない。従つて申請人が現車制限違反を理由として指示に従わなかつたのであるとの事実を一応認めることもできない。債権者の主張は採用の限りではない。

次に債権者は、連結手の早退については同じ組の者の諒解を得、操車掛の許可を得れば認められる慣行があり、債権者は当日右諒解や許可を得たものである旨主張し、そ甲第四、第七、八、第十三、十四及び第十八号はこれに副うようであるけれども、そ乙第二十、第三十二号、同第三十四、三十五号の各一、二、同第三十六、第五十号によれば、日本国有鉄道就業規則第十二条第一項は職員の早退の承認についての権限は本来所属長である新潟鉄道管理局長に属する旨規定しており、右権限の行使は現場長たる駅長等に委任されているが新津駅等の、大規模な現場機関においては、現場長は一般に各職場の長である主任に命じてこれを処理させ、特に運転関係の従事員については、運転掛にその処理を委ねているものと一応認められる。これは運転関係の業務の特殊性に鑑み、特に直接構内運転作業を全体として把握し指揮する地位にある運転掛にその処理を委ねたものと考えられるから、かかる地位になく、個々の列車についての具体的な入換、組成作業に従事するにすぎない操車掛に債権者主張のように早退を承認する権限があるものと解するのは相当でない。このことはそ乙第八、第四十七号によつて一応認められる、昭和三十三年二月十七日から運転室に遅参早退簿が備えつけられ、遅参、早退の場合にはそのつど理由及び時分を記入し、当務運転掛、主任及び駅長がそれぞれ検印する取扱いとなつた事実からも窺い知られるところであつて、又そ乙第六、第十三及び第三十一号によれば、同日右遅参早退簿の設置に関し、国鉄労働組合新津駅分会執行委員長長谷川富夫、同書記長二野安栄等が伊藤太七運転主任と話し合つた際においても、同主任は作業未了の場合の早退には操車掛に話し運転掛の承認を得るように指示したものと認められ、右事実と更にそ乙第二十五ないし第二十八号をあわせて考えるときは、前掲債権者のそ明資料はにわかに採用できず、債権者主張のような慣行の存在は未だそ明があるものとすることができない。従つて他の連結手等との間にどのような話し合いがなされたかは別として早退を適法とする債権者の主張は採用できない。

(二) その他の事実について

次の右のほか債権者にしばしば職員として不都合な行為があり、そのつど上司から訓戒を受けていたとの債務者の主張事実について考えるのに、そ明によれば次の事実を認めることができる。すなわち、

(1) そ乙第五号、第九、十号、第十九号の一、二によれば、債権者は、昭和三十一年五月二十一日上り客車番として勤務中、第五二二列車(新潟発大阪行)が十一時四十七分新津駅に到着した際、同列車を第五二四列車(青森発大阪)と見誤り、所定の荷物車一両を連結せんとして、第五二二列車の前から四両目の客車の後寄り幌を切離し、制動管のホーム側の肘コツクを閉鎖した。その後同列車が第五二二列車でないことに気づいたにも拘らず、同人が肘コツクを解放することを失念したため同列車はそのまま発車したが、幸い隣駅古津において機関士が制動管貫通試験を行つた際これを発見し、事故発生には至らなかつた。このため債権者は、新津駅長の命を受けた三浦吉三運転主任から同日及び翌二十二日の二回にわたり訓戒を受けたものであること、

(2) そ乙第五、第十一、十二号、第四十二ないし第四十四号によれば、債権者は、昭和三十二年一月九日零時からの勤務に服した際、出勤前飲酒したため酩酊しており、勤務時間中の零時四十分頃南部操車掛詰所に設置してあつた構内四番線の卓上電話機及び四一八番の交換電話機を床に落して破損せしめ、そのため同月二十一日大島栄蔵駅長から訓戒を受けたものであること、

(3) そ乙第十四、第十六、十七号証によれば、債権者は昭和三十二年三月十二日の国鉄労働組合第三波闘争において、午前十時頃新津駅第三ホームで信越上り列車扱運転掛として勤務中の荒井宏に対し、他の組合員と共に職場大会へ参加するよう説得に努めたが、参加を拒絶されたので、同人を車号室へ連行し、同所に軟禁して執務を阻止しそのため、総裁から日本国有鉄道法第三十一条に基づき減給一ケ月十分の一の懲戒処分を受けたものであること、

以上の事実を一応認めることができる。以上に反するそ明資料はいずれも採用できない。 以上

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